1番打者の打球は、三塁寄りへの力のないゴロ。マウンドから捕球しにいくと、三塁手の声が聞こえた。その顔をみた瞬間、自分のグラブから球はこぼれていた。
先発した東北(宮城)の2年生左腕、中条善伸(63)に、一回の記憶はここまでしかない。
第61回全国高校野球選手権大会(1979年)。1回戦の相手は済々黌(熊本)。2番打者の送りバントも自身の野選でピンチを広げた。
ストライクが入らなくなった。5四球を与え、5失点。この回を持たずにマウンドを降りた。
「腕の振りが途中で止まり、力ずくで振るから思ったところにいかない。イップスだったと思います」
46年後の今、そう回顧する。
四回、左翼から再びマウンドに。得点は0―10になっていた。
戻った時のことはよく覚えている。「ノーコンと言われるより打たれた方がいいと思っていた」。3安打を浴びた後、7番打者に満塁本塁打を打たれた。中条は笑っていた。「自分じゃない自分を、クスクスとあざ笑っていたのです」
試合は5―18で終わった。
先立つ春の選抜大会に遠因はあった。下関商(山口)との開幕戦。先発した中条は二回に4連続四球を与えて降板し、チームも敗れた。
実は、数日前に起きたひじ痛を竹田利秋監督にも隠していた。試合後もメディアには明かさなかった。中条からすれば、投げてはいけない状態で投げた非はあるが、「四球病」とレッテルを貼られるのは不本意だった。
なのに、済々黌戦も押し出しを与えてしまった。「また笑われる」。マウンド上でのおびえが、腕の振りを止めていた。
また押し出し 「もう見ていられない。やめてくれ」
地方大会では完璧に抑えるのに、甲子園では自滅する。そのイメージは80年春に増幅した。初戦の松江商(島根)戦。中条は9点リードの九回に登板したが、1安打3四死球で、また押し出しを与えて降板。この大会、唯一の登板となった。
「もう見ていられない。やめてくれ」という親の願いもあり、退部届を出した。ただ、竹田監督から「卒業してからもっと苦しい場面が襲ってくる。そのたびに逃げていたら、社会で生きていけない」と言われた。冷却期間を置いて、最後の夏に臨んだ。
横柄だった自分を省みた。下級生にはリーダーとしての振るまいを意識した。部室の掃除も率先して行った。春は竹田監督の進言を受けて横手で投げていたが、持ち味の縦に大きく割れるカーブが、なりを潜めてしまうことから、希望を伝えてフォームを戻した。
宮城大会決勝は、すんなりといかなかった。四回まで仙台商に5失点。降雨コールドで再試合となった。
夜、竹田監督から呼ばれた。
「どうした? 昨日までのおまえじゃない」
「雨でぬかるんで……」
「そうじゃないだろう? 本心を言ってみてくれ」
打たれるべくして打たれる球しか投げていなかったのを、恩師は見抜いていた。中条は心の奥底を打ち明けた。
「実は、甲子園には行きたくありません。行ったら、また同じ結果になって、笑いものになる……」
竹田監督は全員を集めた。
「今まで、甲子園に行けていたのは誰のおかげだ? 中条が違うチームにいたら、行けなかったんだぞ。最後はおまえらの力で中条を甲子園に連れて行け」
再試合は中盤以降に打線がさえ、6―1の勝利だった。
バックネットへの「大暴投」 監督は暗示をかけた
4度目の甲子園の初戦は瓊浦(長崎)との開幕戦。
「何を言われても高校野球はこれで終わり」と、開き直るゆとりがあったという。
登板前、竹田監督に「初回の投球練習でバックネットにぶつけてみろ」と、気が楽になるような暗示をかけられ、実際に中条は「大暴投」を演じた。かつて自分を笑いものにしているように感じた観客の表情が、純粋な笑顔に見えた。
一回は9球で三者三振。「非常に大きかった」と振り返るのは、二回の4番本西厚博(元ロッテ)の打席だ。初球はボール。「次もボールだったら」の嫌な思いがよぎったが、ファウル。中心打者を三振にとり、完全にペースに乗った。無四死球の2安打。4―0の完封勝ちだった。
習志野(千葉)との2回戦も7―0の完封。2四死球を与えたが、冷静だった。夏前、四球を出した後のことを想定し、セットポジションの投球練習を多めにしていた。
観客の食べ物まで見えた甲子園のマウンド
3回戦で浜松商(静岡)に4―6で屈したが、中条の甲子園は終わらない。
ドラフト外で巨人へ。左打者へのワンポイントを中心に起用された。甲子園での阪神戦。マウンドから観客が食べている物まで見えた。バース、掛布雅之から連続三振をとった。「こんなに投げやすい球場があるのか」と思った。
「高校時代は、自信過剰とその半面の弱さという魔物を、自分の中につくりあげていたのです」
90年限りで現役引退。バッティングピッチャーを経て、映像資料をつくる裏方として、2023年まで巨人を支えた。
第62回全国高校野球選手権大会1回戦
東北(宮城)
000211000|4
000000000|0
瓊浦(長崎)